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生きてるのではなく、生かされてる。

2021/03/28更新:

ジェラートに恋してる果物屋
GoziUフルフルこと古田芳章です。

バルセロナオリンピックで
金メダルを獲得した

柔道家の古賀稔彦さんが
2021年3月24日、
お亡くなりになりました。

「致知」に掲載された記事を
紹介します。

〈古賀〉
男子柔道71キロ級の
日本代表として送り出された、
1988年のソウルオリンピックのこと。


20歳にして
初の五輪切符を手にした私は、
優勝候補と目されていたのですが、


蓋を開けてみれば
3回戦でまさかの敗退。


あまりの悔しさに
ただ呆然として
試合会場を後にしました。

日本に帰国すると、
私を取り巻く環境が
驚くほど一変していました。


成田空港から出発するまでは
マスコミで散々取り上げられ、


「頑張れ頑張れ」と
声援を受けていた私が、


一転して
誹謗中傷の的となったのです。


「古賀は世界で通用しない」
「あいつの柔道はもう終わった」など、


なぜそんなことを
言われなければいけないのかと
ただただ憤慨するばかりでした。


そして気づけば、
私の周りからは潮が引くように
誰もいなくなったのです。

自分はオリンピックの大舞台で
負けて悔しい思いをしているのに、


なぜそのことを
誰も理解しようとしてくれないのか。


もう人間なんて誰も信用できない。
この時、私は人間不信になっても
おかしくないくらいに


激しく気持ちが落ち込み、
とにかく人目につくのが怖くて、
自分の部屋に閉じこもりました。

そんなある日のこと、
何気なくつけていたテレビの画面に、
オリンピックの総集編が流れ始めました。


番組では華々しく活躍する
選手たちの映像とともに、


惨敗だった日本柔道の特集も
組まれており、
3回戦で敗退した
私の試合も映し出されます。


ところが次の瞬間、
画面に釘づけになりました。


なぜなら私が試合に負けた直後、
カメラが観客席で応援していた
両親を映したからです。


おもむろに立ち上がった両親は
試合会場を背にすると、


日本から応援に
駆けつけてくれていた
人たちに向かって、


期待に応えられなかった
私の代わりに
深々と頭を下げていました。


もちろん、
私にとって初めて見る光景です。


中学で親元を離れて
ひたすら柔道に打ち込み、


ほとんど顔を合わせることが
なかっただけに、


久しぶりに見た両親が
謝っている姿に
私は大きなショックを受けました。


心の変化はそれにとどまりません。
いまの自分が
無性に恥ずかしく思えてきたのです。


それまでは、
「おれが練習して、
おれが強くなって、
おれがオリンピックに行って、
おれが負けて、
おれが一番悔しいんだ」
と思っていました。


ところが両親の姿を見ているうちに、
闘っていたのは
自分一人ではなかったことに
気づかせてもらったのです。


すると驚いたことに
次々と私をサポート、
応援してくれた人たちの顔が
浮かんできました。


例えばオリンピックに向けて
練習相手になってくれた仲間がいました。
彼らは自分たちが試合に出られないのに、
私のために何度も受け身を取ってくれました。


しかし、当時の自分は
それが当たり前のこととしか
受け止められませんでした。


また、たくさんの方からの声援や
心のこもったお手紙を
何通も頂戴しましたが、
応援されることが
当たり前と思える自分がいました。


ところがこうして少しずつ
周りが見えてきたことで、
自分の後ろには
こんなにもたくさんの人たちが
一緒に闘ってくれている、
だから安心して闘っていいのだと
思えるようになったのです。


そしてこれを機に、
それまでの自分が嘘のように
前向きになることができました。


もう両親に
頭を下げさせてはいけない。


そして自分をサポート、
応援してくれた人たちにも
絶対喜んでもらいたい。


そのためには
オリンピックで負けたのだから、
次のオリンピックで
金メダルを取って恩返ししよう。


この時に抱いたこの思いこそが、
4年後のバルセロナオリンピックにおいて、
怪我で苦しみながらも
金メダルを獲得することができた
大きな原動力になったのです。


また一方で、
現役生活を長く続けていて感じたのは、
若い頃は強いからこそ
たくさん応援されるのですが、



年とともに結果が出せなくなると
応援される場面がなくなってくるのです。



特にオリンピック出場の可能性が
なくなる頃になると、
なおのこと感じるものです。


ではそれでモチベーションが
下がるかというと、
そんなことはありませんでした。


そもそも自分が自分の夢に向かって
頑張るのは当たり前のことです。


これが社会人であれば
いくら夢に向かって頑張っていても、
そうそう他人から応援されることはないでしょう。


ところが競技をやっていると
自分が知らない人からも応援してもらえます。
考えてみればこれは決して普通ではなく、
むしろ幸せなことと思える自分がいたのです。


ですから、
現役を引退する最後の最後まで、
たとえたった一人の応援だったとしても
それがどれだけ励みになったか分かりません。
振り返れば本当に幸せな現役時代だったと思います。


「精力善用・自他共栄」という
柔道の祖・嘉納治五郎先生が
残した言葉があります。
その意味を一言で表すと、
人のお役に立ちなさいということでしょう。


現在、私は現役引退後に
終(つい)の棲家(すみか)に
するつもりで建てた町道場で、
子供から大人までを対象に
柔道の指導にあたっています。



先の言葉は自分が指導者として
拠って立つ軸となるものをつくろうと
考えていた時期に出合ったものでした。
「柔道は教育」とも
嘉納先生はおっしゃっています。



柔道を学ぶことは、
ただ勝って結果を出すことではなく、
人のお役に立つことを学ぶことである。


そのことを念頭に、
生徒一人ひとりを心の底から
応援できる指導者を目指して、
生涯柔道の道を歩み続ける覚悟です。


※本記事は『致知』2014年8月号に掲載。

私利私欲では続かない。



初めは俺が俺が
ってなるのはよくわかる。

中学生の頃から注目されて
オリンピックまで
出るくらいなんだから
余計にそうです。

でも期待されて負けると
蜘蛛の子を散らすように
自分の周りから人がいなくなる。

僕らでもビジネスやってて
うまく行ってるときは
ホイホイ人が寄ってくるけど
失敗すると誰もいなくなるやろね。

そう割り切って
人とは接してます。

事業を始めるときは
結構私利私欲で始める人が多いかな。

儲かったら
いい車買ってやろう

とか

豪遊したろう

とか


思って始めますが
それでは立ち行かなくなってきます。

どこかの段階で
絶対頭打ちます。


その時に支えてくれてる存在に
気が付きます。


その人たちに喜んでもらえるように
ビジネスしようって
考えが変わってきます。


「自他共栄、利他の心ですね。」

いい時も悪い時も
いつも平常心で
謙虚でいようと改めて思いました。


古賀さんのご冥福を心より
お祈り申し上げます。

赤肉メロンジェラート

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